今帰仁城(なきじんぐすく)跡

画像今帰仁城(なきじんぐすく)跡に行って
きました。今帰仁城は本部半島の北側にあり
美ら海水族館と古宇利島の中間あたりに位置
しています。


◆行き方◆
今帰仁城(なきじんぐすく)は国頭郡今帰仁村にあります。名護バス
ターミナルから左廻り循環線の66系「本部半島(今帰仁廻り)線」
で約45分、反対の右廻り循環線65系「本部半島(渡久地廻り)線」
で約60分、バス停「今帰仁城跡入口」で降りて徒歩約15分で
城の入り口に着きます。
バスを降りたところに案内板があるので迷うことはないと思います。



今帰仁城は琉球が統一王国となる前の三山時代に北山(ほくざん)
の王の居城として使用されてましたが、築城された年代などの詳細
は判っていないそうです。三山時代の「三山」とは南部の「南山」、
中部の「中山」、北部の「北山」を指し、琉球王国として統一される
前は大きく3つの地域に分かれていました。

1416年に「中山」の尚巴志(しょうはし)が琉球統一を目指して
「北山」に攻め入った時、「北山」には攀安知(はんあんち)という
絶大な権力を持った王がいて、難攻不落を誇っていた今帰仁城は
中山軍の昼夜・三日間に渡る攻撃を撃退したそうです。
このため正攻法では攻略が難しいとみた尚巴志は、密使を送って
攀安知の腹心であった本部平原(もとぶてーはら)を説得し、北山軍
を城外の攻防におびき出すことに成功します。そして北山全軍が
城外で戦っている間に城内に侵入して火を放って落城させました。
琉球の歴史では、こうした信頼した腹心や身内の寝返りによって
歴史が大きく変えられるケースが意外に多くて面白いところです。

北山に続いて南山が落城して琉球王国が成立した後、今帰仁城
には中山王の親族から北山監守が派遣されて17世紀の初めまで
は北山監守の居城として使用されていたそうです。

今帰仁城の城郭は外郭を含めると7つの郭からなっていて、その
外周は約1500m、高さは6~10mもある壮大な造りで、何となく
「万里の長城」を思い出させます。面積は首里城とほぼ同等だそう
です。


■今帰仁城跡に向かう道の桜
 バス停からの道には寒緋桜(カンヒザクラ)が植えられていて、
 日本一早い桜の名所として近くの八重山の桜とともに有名なのだ
 そうです。1月もまだ中旬だというのに何とすでに一部の木には
 花が咲きはじめてました。早っ。。
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■寒緋桜アップ
 桜まつりはなんと1/23から開催される予定だそうです。
 本土では一番寒い時期です。。
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■今帰仁城跡の入口
 歩いて15分ほどで城の入り口にたどり着きました。
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■世界遺産登録の石碑
 何と世界遺産だったのですね。。2000年に「琉球王国のグスク
 及び関連遺産群」の9つの施設の1つとして登録されています。
 正式な登録名は「なきじんじょうあと」だそうです。「城」は世界遺産
 の名称としては「じょう」となっていますが、地元では一般的に
 「ぐすく」と呼ばれているようです。
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■平郎門(へいろうもん)
 平郎門は今帰仁城の正門に当たります。門の左右には、狭間と呼ばれる
 のぞき穴があり、番兵が外の様子を伺うために使っていたそうです。
 ここからが有料の見学コースとなります。
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■新参道
 平郎門から大庭(ウーミヤ)に向かう石段の参道です。この参道は
 1962年に整備された新参道で、旧参道はこの横にあるようです。
 (行った時は気づかなかった)
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■新参道2
  ここでも寒緋桜が咲き始めてました。
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■大庭(ウーミヤ)から大隅(ウ-シミ)を望む
 平郎門からまっすぐ延びた参道の階段を登りつめると開けた広場
 に出ます。ここは大庭(ウーミヤー)とよばれ、かつて南側には南殿
 (なんでん)が建っていたと推定されています。
 正面の広くなった場所は大隅(ウ-シミ)と呼ばれ、城兵達の
 武闘訓練の場であったといわれている場所です。
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■御内原(ウ-チバル)からの城壁
 御内原(ウ-チバル)は城の北端にあり「女官部屋」があったと
 される場所です。ここは城内で最も見晴らしがよくて城壁の上
 には今帰仁村全体を見渡せ、また伊平屋島、伊是名島の島々が
 よく見えます。琉球王朝時代では女性の方が神に近い存在とされ、
 敬われていたので、このような場所に「女官部屋」があったと
 思われます。
 そしてここから見える城壁は地形にそって美しいカーブを描いて
 いて素晴らしい眺めです。
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■主郭跡の「火の神」
 大庭の東の一段高くなった場所は主郭(俗称本丸)と呼ばれている
 場所です。主郭には正殿があったとされ、多くの礎石(そせき)が
 残っています。そしてここには「火の神の祠」(ひのかんのほこら)が
 あります。祠には監守一族の火神が奉られていて、旧暦8月10日
 には今帰仁の神人(かみんちゅ)が城ウイミの祭祀(さいし)を
 現在も行っているのだそうです。
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■主郭跡から志慶真門郭(しじまじょうかく)
 志慶真門郭(しじまじょうかく)は城の南側にある本丸より一段低い
 ところにあり、家臣たちが生活した場所と考えられています。この
 あたりの城壁は最も原形に近い形で残っている場所とのことですが
 本当に美しい形をしています。
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■志慶真門郭からの眺め
 志慶真門郭から北の方向を眺めたところです。左上が主郭跡に
 なります。
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今帰仁城跡
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