与那国島3-与那国の歴史

画像与那国島3日目は朝から雨が降ったり
止んだりの天気でした。与那国の冬は
こんな感じの日が続くそうです。こんな
天気の日には部屋でのんびりと過ごす
のもいい感じです。


さて与那国島の歴史などについてちょっと調べてみました。
与那国島で確認されている最も古い遺跡は、空港の東側あたりに
ある「トゥグル浜遺跡」と言われています。この遺跡は、これまでは
先島石器時代後期である1000年~2000年前のものであると
考えられていましたが、最近になって約4400年も前のものである
ことがわかっています。4000年前といえば本土では縄文時代の
後期にあたりますが、見つかっている石斧、シャコガイ製の貝斧など
の形態から、縄文式文明よりも台湾やフィリピンなどの東南アジア
の文明に近い生活様式であったと考えられています。ここから
沖縄本島でさえ500km以上離れているのに対して、台湾まで
111kmしかない地理的な条件で考えれば当然といえるかもしれ
ません。

しかし、その後の歴史については定かではなく10世紀頃までの
約三千年の間の歴史がまったく途絶えています。これは疫病の発生
や自然災害などによって文明が崩壊したのではないかと考えられて
います。与那国の伝説には「火の雨」が登場したりして海底火山の
噴火を想像させたり、地震による津波もたびたび発生していたと
考えられています。

そんな与那国島が歴史上に改めて登場するのは15世紀に入って
からで、琉球の海外交易が盛んになって台湾や東南アジアの国々
との貿易が始まるとその中継点として上陸した人々によって文明化
されていったと考えられています。

そして、15世紀末から16世紀にかけては「サンアイ・イソバ」という
女酋長が君臨し、島民の崇拝を集めていたといわれています。
イソバについては「八重山の歴史」の中でも触れましたが、とても
背の高い巨人で、4人の兄弟を村々に配して自分はティンダハナタ
の丘の上に住んで指揮をとっていたと言われています。でも実在
していたことを示すものは何も残っていないそうです。ロマンですね。

16世紀に入ると宮古軍が攻めてきましたが、与那国の人々は奮戦
して抵抗し、なかなか上陸を許さなかったそうです。しかし1522年
には戦いに敗れて琉球配下となったそうです。


日本の西の果ての与那国島の西の端にある久部良なので、
いろいろなものに日本最西端の称号が付きます。

■日本最西端の久部良小/中学校
 久部良港の近くの「日本で一番西にある」久部良小/中学校です。
 与那国島には高校はなく他島へは遠くて通えないため、高校に通学
 する人は石垣島などに一時的に引っ越すそうで、このタイミングで
 与那国を離れていって戻ってこない人も多いそうです。子供と一緒に
 他島へ離れていってしまう家族も多く、これが人口減少の要因に
 なっているそうです。
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■日本最西端の久部良郵便局
 日本で最西端にある久部良郵便局です。久部良漁港のすぐ前に
 にあります。
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■日本で一番西の自動販売機?
 日本で一番西にあると思われる自動販売機です。
 西崎の灯台や展望台があるところにはトイレはあるのですが
 自動販売機はなく、久部良港の西のはずれの丘にあるこの
 自動販売機が日本最西端と思われます。別になんてことの
 ない普通の自動販売機でした。。
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■与那国の買い物事情
 与那国島には外で食べる店はあまりないため、食事はもっぱら
 商店で食材を買ってきてキッチンで簡単な料理をしたり、朝は
 買っておいたパンという感じになります。パンや牛乳などは
 与那国についた日はたくさん置いてあったのですが、段々減って
 きて今日は店頭から消えていました。
 考えてみれば、食品などの生活物資はフェリーで送られてきて、
 店頭に並ぶので、フェリーがくる直前は品薄状態になるようです。
 改めて離島生活の大変さを思い知らされました。。で、今日は
 冷凍食品類もほとんどなくて夕飯と明日の朝は「カップラーメン」と
 なりました。。とほ。。ちなみにこのラーメン210円でした。
 石垣島あたりでは120~130円くらいだったと思います。基本的に
 物価は高いです。。そういえば単3の乾電池も買ったのですが、
 マンガン乾電池4本セットで300円もしました。。100円ショップ
 なら8本で100円なのに。。。明日はフェリーが着きます。。
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与那国島久部良
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