勝連城(かつれんぐすく)跡

画像勝連城(かつれんぐすく)は琉球王国統一
の過程で国王に最期まで抵抗した阿麻和利
(あまわり)が住んでいた城として有名です。



◆行き方◆
勝連城跡はうるま市にあります。那覇バスターミナルから52系
「与勝線」で約100分、「勝連団地前」で下車して徒歩約5分です。
バスは1時間に1本程度です。または27系「屋慶名(大謝名)線」、
80系「与那城線」に乗り「西原」で下車して徒歩約10分で行くこと
もできます。こちらは約15分間隔で走っていて便利です。おもろまち
駅からの227系「屋慶名おもろまち線」もあります。



勝連城は沖縄本島の中部、勝連半島の根元に位置する丘陵上に
築かれ、四方が見渡せる景勝地でもあります。
また勝連城は2000年に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」
の1つとして世界遺産に登録されていますが、これらのグスクの
中で最も古いとされていて11~12世紀の築城と考えられています。

勝連城の最後の城主であった阿麻和利(あまわり)の時代には、
勝連城は貿易により繁栄し、琉球王府の中心であった首里城に
負けないほど栄えていて王朝から恐れられる存在であったと言わ
れています。そんな阿麻和利は同じく貿易により栄えていた中城
(なかぐすく)城に居城していた宿敵、護佐丸(ごさまる)を滅ぼし、
さらには王権奪取を目指して首里城を攻めようとしましたが、大敗
して滅びたとされています。

つまり、阿麻和利は琉球戦国史においては「謀反人」として名高い
のですが、勝連の人々からはとても愛され慕われていたようです。
この辺りは琉球の最初の歌集といわれる『おもろさうし』にも、
「勝連の阿麻和利、十百歳(とひゃくさ)、ちよわれ(千年もこの勝連を
治めよ)・・」(勝連の阿麻和利、千年も万年もこの国を治めよ)と
謳われています。

勝連城では、阿麻和利の前代である9代目城主であった茂知附
按司(もちづきあじ)が酒乱で高い年貢を取り立てて農民を苦しめて
いました。これに見かねた阿麻和利は農民と共謀してクーデターを
起こして按司(あじ)の地位を手に入れ、その後は年貢を安くする
などの政策をおこない、勝連の人々にとってはヒーロー的な存在
だったようです。

しかし、首里王府に対する謀反では画策している段階で妻の百度
踏揚(ももとふみあがり)に首里王府へ密告されてしまい、当時は
妻の付き人をしていた鬼大城(おにうふぐすく)を総大将とする首里
王府軍によって返り討ちに遭って滅ぼされました。
考えてみれば妻の百度踏揚は第六代の琉球国王・尚泰久の娘で
あったので、密告されるのも致し方ないという気がします。

こうした阿麻和利の半生を調べるとなかなか興味深いものがあり、
いろいろな書物になったりしているようです。そして「現代版組踊
『肝高(きむたか)の阿麻和利』」という演劇として地元の中高校生
によって演じられているとのことです。沖縄の伝統芸能「組踊」を
ベースに現代音楽とダンスを取り入れた演劇舞台で「沖縄版
ミュージカル」だそうです。
2月21日、22日にも公演があるとのことで、ぜひ観たいと思ったの
ですがチケットはすでに完売とのことでした。う~む残念!
沖縄では超人気な公演なのだそうです。地元の若い人たちが
沖縄の伝統芸能を演じ伝えていくことはとても素敵なことだと
思います。
ちなみにタイトルについている「肝高(きむたか)」とは「心豊か」とか
「気高い」という意味で、ここからも阿麻和利がいかに敬われて
いたかがわかりますね。。


勝連城は、一の郭(くるわ)を頂点として、その下に二の郭、さらに
下に三の郭と複数の郭から構成されている連郭式のお城です。
郭とは曲輪とも書かれ、城郭内の一定区画を土や石などで分割して
囲まれた区域のことを指します。江戸時代の城でいえば「本丸」や
「一の丸」などというところの「丸」と同じ意味です。

■勝連城への道
 城は小高い丘の上にあって道路からは割と急な坂道を登って
 いきます。この道を登ったところが4番目の郭である「四の郭」と
 なります。四の郭、およびそのさらに外にあったとされる五の郭
 (東郭)の部分は今は城壁などはほとんど残っていません。
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■四の郭(西原御門跡)
 坂を登ったところが「四の郭」になります。かつてはこの辺りに
 西原御門(にしばるうじょう)というアーチ門が建っていたそうです。
 ここからみる城壁はヨーロッパの古城を思わせるような造りで
 とても美しい姿です。
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■四の郭(南風原御門跡)
 四の郭をさらに進んだ南西側から三の郭を見上げたところです。
 かつてはこの辺りが城の正門にあたり、南風原御門(はえばる
 うじょう)と呼ばれるアーチ門があったそうです。こうして見上げる
 城は、まさに「天空の要塞」といった感じです。。
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■三の郭
 四の郭から曲線を描く城壁に沿って登っていくと、「三の郭」が
 あります。「三の郭」とその上の「二の郭」の間に城壁や門は
 無くて、殿舎があったとされる「二の郭」の前庭のような位置付け
 の場所と考えられています。写真の石段を登ったところが「二の郭」
 になります。
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■二の郭
 「二の郭」には殿舎が建っていたと推定され、その礎石がしっかりと
 残っています。殿舎には城主である按司が住んでいて、その礎石の
 大きさから幅17m、奥行き14.5m程度の大きな建物であったと
 考えられているそうです。ここからは美しい海がよく見えて素晴らしい
 眺めが広がっています。
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■二の郭(ウシヌジガマ)
 二の郭の北西側の一画に「ウシヌジガマ」と呼ばれる洞穴があり
 ます。ウシヌジの意味は「敵に攻められたときに身を隠してやり
 過ごす場所」ということですが、実際に隠れる場所ではなくて
 御獄(うたき)とよばれる拝所でした。洞窟内には火の神(ヒヌカン)
 がお祀りされているそうです。
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■一の郭
 さらに登って一番高い場所が「一の郭」です。ここには360度の
 大パノラマが広がっていて、天気がよい日は絶景が楽しめます。
 勝連の集落を眼下にして、南には知念半島が海に横たわる姿が
 よく見えます。また、宿敵であった護佐丸(ごさまる)のいた中城城
 も中城湾の向こうによく見えたそうです。
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■一の郭(玉ノミウジ御嶽)
 「一の郭」の中央付近には、「玉ノミウジ御嶽」と呼ばれる拝所が
 あります。写真でははっきりと見えませんがここにある石は、
 勝連城を守る霊石とされているそうです。
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■一の郭(二の郭方向)
 「一の郭」から「二の郭」方向を見たところ。ここから二の郭の殿舎
 の礎石がよく見えます。その先の石垣に囲まれた部分が「三の郭」
 になります。
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■一の郭(城壁と太平洋)
 「一の郭」から見る城壁と太平洋(中城湾)です。城壁の外側は
 絶壁になっています。
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勝連城
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