沖縄平和祈念公園

画像沖縄平和祈念公園は多くの民間人を巻き
込んだ地上戦である「沖縄戦」で亡くなった
人々を弔うために造られた公園です。




◆行き方
「沖縄平和祈念公園」は糸満市摩文仁(まぶに)にあります。
最寄のバス停は「平和祈念堂入口」で公園の前に停まりますが、
那覇からの直行バスは走っておらず糸満バスターミナル経由と
なります。那覇バスターミナルから糸満バスターミナルへのバスは
34系「東風平線」、35系「志多伯線」 89系「糸満(高良)線」
など多数あります。89系はおよそ10分の間隔で走っているので
便利で所要時間は約60分です。糸満バスターミナルからは82系
「玉泉洞糸満線」が「平和祈念堂入り口」を通ります。所要時間
は25分で、1時間に1本程度の運行です。



1945年5月末、アメリカ軍の猛攻に追い詰められた日本軍指令部は
首里から沖縄本島最南端の摩文仁(まぶに)に撤退します。
狭い摩文仁地区には南下する米軍と抗戦する日本軍、そして避難する
一般住民とが入り乱れてパニック状態に陥ったと言われています。
そしてついに6月23日、日本軍司令官らが司令部の壕で自決したこと
により終焉を迎えます。3月26日に慶良間諸島への上陸で始まった
とされる沖縄戦は約3ヶ月で終わりを迎える結果となりました。

この「沖縄戦」は「日本で唯一の地上戦」と言ってしまうと硫黄島での
戦いなどもあったので正確ではありませんが、民間人を巻き込んだ
大規模な戦いという意味では「最初で最後」の地上戦といえます。
この間に使用された銃弾の数はアメリカ軍側だけでも270万発を
超え、他に砲弾6万発、手榴弾段39万発、ロケット砲弾2万発、
そして機関銃弾は約3,000万発が発射されたと言われています。
想像を絶する数です。これらの砲撃によって沖縄の地形が変わって
しまったと言われていて「鉄の暴風雨」とも呼ばれていました。
日本側の死者/行方不明者の数は18万8千人にのぼり、そのうち
の沖縄県の出身者は12万2千人で、さらにそのなかで民間人は
9万4千人もいたそうです。なんと沖縄での犠牲者の77%が民間人
だったということになります。本当に悲惨な戦いです。

この“沖縄戦終焉の地”となった摩文仁の丘に平和への祈りを込めて
作られたのが「沖縄平和祈念公園」です。この「沖縄平和祈念公園」
は戦跡としては唯一の国定公園である「沖縄戦跡(せんせき)国定
公園」の一部として位置づけられています。国定公園内には「平和
祈念公園」の他に「ひめゆりの塔」などがあります。
毎年、沖縄戦の終戦日である6月23日の「慰霊の日」には、ここで
沖縄全戦没者追悼式が行われているそうです。

たくさんの花々が咲いている整備された美しい公園内を散策すると、
穏やかで爽快な気分になるのと同時に、園内にある戦跡地を見て
回るうちに何となくもの悲しさも襲ってきて凛とした敬虔な気持ちにも
させられるそんな場所でした。


■平和祈念堂と案内所
 「平和祈念堂入口」のバス停を降りると、すぐ目の前に祈念堂
 の白い建物が目に飛び込んできます。平和祈念堂は恒久の平和
 を祈念して建てられた高さ45mの七角形の堂塔です。手前にある
 赤い屋根の建物は「平和祈念公園案内所」で公園内の施設の
 パンフレットなどが置いてあります。公園内はとても広いので、
 まずはこの案内所を訪れて案内図などをGETしてから、どう観て
 まわるかを決めることをお勧めします。
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■平和祈念堂
 平和祈念堂を案内所の横の入り口から見上げたところです。
 堂は正七面体角錐型をしています。これは七つの海と合掌の形を
 表しているそうで、人種や国家、思想や宗教などの壁を乗り超えて
 世界平和を訴える壮大なモニュメントとなっています。下から
 見上げると迫力があります。中に入りませんでしたが堂内には
 高さ12mの沖縄平和祈念像が鎮座しているそうです。
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■平和の鐘
 急な平和祈念堂への階段を登った右手には「平和の鐘」があります。
 この鐘の横には、「戦いに散った魂を鎮め 人類の悠久平和を誓い
 この平和の鐘は とはに絶えることなく 四方に響きわたる ここ
 摩文仁の丘より 万人の祈りをこめて」 と銘文が刻まれています。
 毎年6月23日の「慰霊の日」などの式典などの際にはこの鐘が
 打ち鳴らされるそうです。
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■平和の丘
 平和祈念公園の広々とした芝生の中に「平和の丘」と書かれた
 石碑があります。ここからは広場全体が見渡せて美しい眺めを
 見ることができます。
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■花咲く花壇
 広場の片隅には花壇もあって色とりどりの花が咲き乱れています。
 こうした花壇が公園内のいたるところにあって、華やかで美しい
 公園という印象が強く残ります。
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■平和祈念資料館
 広場から海の方向に向かう左手には大きな「平和祈念資料館」
 の建物が建っています。この資料館のガイドブックには「第二次
 世界大戦で貴い命を失ったすべての人々に哀悼の意を表すと
 ともに、悲惨な戦争の教訓を後世に伝え、世界の恒久平和の
 実現に寄与するために建てられた」と書かれています。
 ここには沖縄戦に関連する軍関係の文書や個人所蔵の文書、
 そしてひめゆり学徒の手記なども収蔵・展示されていて、
 「戦争とはなんだろう?」と改めて考えさせられ、とても厳かな
 気持ちになる神聖な場所です。
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■平和の礎(いしじ)
 公園内の海側には膨大な数の石碑が並んだ「平和の礎(いしじ)」
 があります。これは沖縄戦終結50年である1995年に建てられた
 石碑で、国籍、軍人、非軍人を問わず、沖縄戦で亡くなったすべて
 の人々の氏名が刻まれています。その数は24万名以上におよび、
 ずらっと並んだ刻名碑を間近でみると圧巻です。
 建前上は「全員の名前」とされていますが、強制連行され死亡した
 朝鮮人慰安婦などの名前は遺族からの反発によって石碑への
 刻名を拒否されたそうです。。悲しい話です。
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■平和の火
 円弧を描くように並べられた「平和の礎」の中央にあたる部分には
 「平和の火」が灯されています。この「平和の火」は沖縄戦において
 最初に米軍が上陸したとされる阿嘉島において採取した火と、
 被爆地である広島市の「平和の灯」、そして同じく被爆地の長崎市
 の「誓いの火」から分火された火を合火して1991年から灯し続けた
 火を1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移して灯したものだ
 そうです。
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■美しい海岸線
 平和の礎のすぐ横は断崖になっていて青い海が見渡せます。
 この地に追い込まれた摩文仁の人たちはどのような思いで
 この美しい海を見ていたのかを思うと心が痛みます。。
 実際にこの海に飛び込んで亡くなっていった人たちもたくさん
 いるそうです。
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■「資料館」から「平和の礎」方向
 平和祈念資料館の前から「平和の礎」方向を眺めたところです。
 美しい風景が広がる風光明媚な場所ですが、沖縄戦での「魚雷」
 がすぐ横に展示されていたり、「平和の礎」の石碑が並んでいたり
 で平和なのどかな風景の中に戦争の悲惨さが伝わってくる厳粛な
 場所です。
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沖縄平和祈念公園
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