唐人墓(とうじんばか)

画像唐人墓(とうじんばか)は石垣島の西部にあり、
ロバート・バウン号事件で犠牲になった中国人
苦力(クーリー)を慰霊しているお墓です。



◆行き方
唐人墓は石垣市新川にあります。バスターミナルから「川平リゾート線」
で約15分、「唐人の墓」で降りてすぐです。バスは一日6往復(夏場は
9往復)走っています。



1852年2月、中国の厦門(アモイ)から400人余りの中国人苦力
(クーリー)を乗せた米国船「ロバート・バウン号」がカリフォルニアに
向けて出航しました。苦力(クーリー)とは19世紀から20世紀初頭に
かけて中国やインドの手に職を持っていない労働者のことで、アメリカ
などに送られて低賃金で過酷な労働を強いられていました。「ロバート・
バウン号」は中国苦力をアメリカに運ぶための船でした。中国人苦力は
船内において船員たちからのひどい虐待を受け、ついには耐えかねて
暴動を起こし、船長ら7人を撃ち殺す事件に発展しました。

船はその後、台湾に向かいましたが石垣島の沖合で座礁してしまい
ます。このため約380人の中国人苦力が石垣島に次々に上陸し、
事情を知らない石垣の人々は仮小屋を建てて苦力を保護収容しました。
これに対して暴動の報告を受けた米国と英国の海軍は三回にわたり
石垣島に来島して収容所に対して砲撃をおこない、島に上陸して苦力
を射殺、捕獲していきました。そんな中でも琉球王朝と石垣島の人々は
人道的に対応して、逃げ隠れする苦力に密かに食糧や水を運んで
支援したそうです。
そして琉球王府は事件の後処理に関する国際交渉に取り組み、
翌1853年9月には船二隻を仕立て、生き残っていた172人の苦力を
中国福建省に送還して事件を終結させたそうです。
これが「ロバート・バウン号事件」の全容です。

この事件で石垣島で亡くなった中国人の墓は各地に点在していましたが、
石垣市がこれらを合祀慰霊するため、台湾政府、在琉華僑などに呼びかけ
支援を受けて1971年に唐人墓を完成させました。


■バス停
 「川平リゾート線」のバス停「唐人の墓」です。バス停の名前は
 「唐人墓(とうじんばか)」ではなくて「唐人の墓」になっています。
 「唐人墓」という言葉の響きがきついので、やさしい「唐人の墓」と
 いう言い方にしたのでは?と思いますが本当のところはわかりません。
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■墓への入り口
 バスを降りたところに墓への入り口の階段があります。看板が
 あるのですが何故か倒れてました。
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■唐人墓1
 階段を上がるとすぐに墓が見えてきます。それにしても極彩色に
 輝く派手な装飾でとても墓には見えません。遠くからみてもとても
 目立ちます。
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■唐人墓2
 屋根の部分には派手な彩色の人形が飾り付けられています。
 屋根のいろいろな場所にこのような人形があって、どうやら何か
 の物語を示しているようなのですが、何なのかわかりません
 でした。ロバート・バウン号事件の内容を示しているのかもしれ
 ません。
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■平和祈願之碑
 唐人墓のすぐ横には「平和祈願之碑」と書かれた石碑が建って
 います。これは第二次世界大戦末期の1945年4月に石垣島で
 捕虜になった米兵三人がジュネーブ協定に違反して処刑された
 「石垣島事件」の犠牲者を弔っている慰霊碑だそうです。
 唐人墓と並んでいますがまったく関係のない慰霊碑です。ただ
 どちらも不条理な死を遂げた人々を慰霊したものという意味では
 共通しています。戦争と平和、そして自由とは何なのかを考え
 させられる場所です。
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■富崎観音堂1
 唐人墓から石垣市街の方向に5分ほど歩いた場所には、「富崎
 (ふさき)観音堂」があります。島人たちの航海安全と無病息災を
 見守る観音様が祀られています。道路からは献灯の続く階段を
 登っていきます。
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■富崎観音堂2
 参道を進むと、林に囲まれた赤瓦の祠(ほこら)が現れます。
 この観音堂は1742年に航海の安全を祈願して3体の観音像を
 奉納したのが始まりとされていて、はじめは石垣空港の近くに
 あったものをここに移したのだそうです。
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■海と竹富島
 この辺りの道路は海に面しています。そして目の前には平坦な
 竹富島が間近に見えます。ここからは約4kmしか離れていません。
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石垣島 唐人墓
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